炎上してますね・・・
相変わらず、冷静な文章の中にチクリと指摘を織り込んだり、構造的な問題点を客観的に指摘しつつ、最後にはきっちりオチを用意してくる山本一郎隊長。
もう隊長はブログなんて書いてないで、さっさと文壇デビューしてはどうかと思う。
そして、それはさておいて。個人的に思うところ、思ったところを文章として書き残しておきたい。
セルフ反省会
大学の講師は「教えること」のプロではないと、学生だった頃の二十年前にも言われていたし、自分の古くて老害がちな感覚からすると、叩かれてはいるものの講師の言ってることや、やり方については自分もやりかねないなぁと思った。
おそらく、この講師の方は単に「教える」ための教育を受けてきていないだけ。「教える」リテラシーがないのは仕方がない。今回の炎上をキッカケに、改善すれば良いだけの話。
何が良くないのか?を自戒の意味も込めて反省会を開いてみる。
- 後出しジャンケン
まずは何よりもコレ。「合否」を判定するということは、公正で公平なルールの提示が事前にあるべき。
メールでの提出のみを指示しただけで、フォーマットを指示していないにもかかわらず、フォーマットの不備を指摘して不合格としているところ。
もちろん、背景には構造的な問題があるので、そちら側の改善にも寄与する姿勢で向かえば周りも協力してくれるに違いない。
- 公開処刑
次にまずいのがコレ。ベタな手法だけれど、褒めるのは公然と、叱るのは個別に。叱られたり改善したりした点を共有したければ、そこは匿名化する。
本人たちに伝えて、改善を求める前にツイッターに書き込んだのは、本人たちの成長を望む教育者の姿勢に欠ける。コメント欄で単なる愚痴とバッサリ切り捨てられるのも致し方ない。
- 感情制御の未熟さ
コレはもう本当に仕方ない。人間だもの。何十年生きたって下手くそだし、人によっては生きれば生きるほど下手になるという罠。
結局、ツイートの内容は八つ当たり(ぶつかるべき相手にぶつかっていかなかったという意味で)であり、愚痴に過ぎなかった。
良い方に考えるなら、怒りを怒りのまま学生たちにぶつけてはいけないと考えたのかもしれない。クールダウンのためにツイートしたのかもしれない。
しかし、本来は「怒り」を「叱り」に転換して、学生たちにぶつかっていくべきだったのだ。
弱い犬ほどよく吠えるとは言うけれど、弱い人ほどよく逃げる。自覚を持って逃げたり愚痴を言ったりすることは、誰しもに許されるべきことだ。
しかし、それをぶつけて良いのは世間でもツイッターでもない。逃げることを許してくれる家族や友人や仲間はいなかったのだろうか?
ちなみに、私にはそんな相手はいません。部屋のゴミ箱と、裏庭の深い穴だけが、私にそれを許してくれます。
最後に
講師個人が叩かれているけれど、そのスタンスはもうそろそろ終わりにしてほしい。
人は直接的に教わっていないことは、他人の背中を見て見様見真似で学んだり、無意識のうちに真似をして行動しているに過ぎない。
他人への「教え方(スキル・手法・態度)」を学んでいない人が講師をするという構造にも問題があるけれど、現状がそういう構造である以上は間違った教え方をする人間を叩いても非生産的だ。
これを機に、本人だけでなく社会全体が教育リテラシーを高めていく方向に話題を持っていく方が生産的だ。
しかし、人間が学んだことを教育でしか伝えていくことができない時代はいつまで続くものやら。肉体と精神の成長度合いに合わせて、注射を打つかのように、スッとインストールできる時代が早く来ますように。